¥350,000(税別)
カテゴリー: 冨田金襴
冨田金襴はもと信長・秀吉に仕えた武人であり、茶人でもあった冨田左近将監知信(?~1599年)が秀吉から拝領して所持、愛好したことからその名が伝えられたといわれる裂です。「和漢錦繍一覧」に、・・・・・・上代四百年計、地色大燈ニ同シ金ニテ一房宛ノ雲但シ大クモ小雲トモニ品 アリスヘテ大燈に同シ、〇或ハ雲に宝ツクノ交タルモアリ同モヤウニテ金地ナリヲ冨金ト云
となっています。名称の起源については異説もありますが現在に時点では先の説をとっておきます。冨田か富田かという事は小文献によりますと『古今名物類聚」「銘物裂名譜」「古錦綺譜」「茶道筌蹄」「茶家醉古襍」「和漢錦繍一覧」「名器録」「古切写」「銘器秘録」「古今名物きれ」が冨田になっています。「雅遊漫録」ではカナ書でトミタとあります。二、三は富田となっているものもありますが冨田と書くのが妥当だと思います。天龍寺慈済院伝来の相国寺三代住持であった空谷明応(仏日常光国師)所用の袈裟(重文・蘇枋地連雲文様金襴袈裟一領)、大名物漢作安国寺肩衝、大名物漢作利休丸壺、大名物雑唐物茜屋柿、中興名物和物古瀬戸大島大海、中興名物和物古瀬戸八重桜大海などの仕覆に用いられています。